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多摩 (軽巡洋艦) : ウィキペディア日本語版
多摩 (軽巡洋艦)[たま]

多摩(たま)は、大日本帝国海軍軽巡洋艦球磨型の2番艦。その艦名は、多摩川から因んで命名された。
== 艦歴 ==

=== 初期 ===
1918年8月10日、八四艦隊計画(後の八八艦隊計画)の一隻として三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工された。1920年2月10日進水。1921年1月29日竣工。
就役後すぐに、シベリア出兵のためのシベリアへの日本軍の上陸を掩護する任務に就いた〔 CombinedFleet.com: ''Tama'' Tabular Record of Movement;〕。
1922年12月1日、第一艦隊第3戦隊に編入された。
1925年、東京で客死した駐日大使の遺体をアメリカ サンペドロまで礼送した〔Tate, Transpacific Steam''; page 215〕。
1932年満州事変の際、多摩は台湾の母港から中国北部沿岸の哨戒任務に就いた。中国での戦線の拡大により、多摩は日本軍の中国中部への上陸の掩護任務にも関わった。
1935年1月10日、在日ドイツ大使館付海軍駐在武官パウル・ヴェネッカーが、末次信正大将の招きで横須賀鎮守府の多摩・戦艦金剛伊号第二潜水艦を訪問した。伝えられる所では、ヴェネッカーは日本の艦砲には関心を示さず、潜水艦をもっと多用するように主張したという。〔
1937年、多摩は第三艦隊に編入された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多摩 (軽巡洋艦)」の詳細全文を読む



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